やりたいのは丁寧な暮らしでなく、スタイルのある暮らし。

インスタグラムの発信で、「丁寧な暮らしだね〜」と言われることがたまにある。花を飾ったり、手作りお菓子作ったり、瓶詰めしたり・・・たぶんそういうところから言ってもらえると思うだが、実際のところ、時間短縮を目的に服が縮むことを承知で乾燥機もかけるし、(あ、でも自分の服はかけません。夫と娘のだけ・・・笑)、加工食品や半調理品も利用する。だから「丁寧な暮らしだね」って言われると、「めっそうもございません!」と慌てて否定する。

 

丁寧な暮らしといえば、ターシャテューダやこちらの記事でも書いた津端英子さん。時間と心意気に両方いるのが丁寧な暮らし。働くことにも力を入れているうちはちょっと難しいなと思っているのが正直なところ。

 

ただ、「スタイルのある暮らし」はしていきたいと思う。丁寧な暮らしは時間がないとできないけれど、「スタイルのある暮らし」は自分の心と対話を続ければ、おのずと作られる。何に喜びを感じるのか、今買おうとしているものは本当に必要なのか、などなど、個人の感性と思考の両方を働かせて日々の生活に落としこんだ結果、自分なりのスタイルが出来上がっていく。

 

誰だって好みや個性はあるから、やろうと思えば皆スタイルのある暮らしはできる。とはいえ一気に出来上がらないのが大変なところで、自分との対話はなかなか面倒だし、好むと好まざるにかかわらず広告は浴びせられ、ブランドものに流されそうになる。

 

 

例えば私は今まな板を買おうとしている。「天然素材が好きだから、プラステックでなく木製のまな板がいい」と思っているけれど、

 

・手入れが面倒ではあるから本当に使いこなせるか?

 ・木の種類は何がいいのか?

・どこのメーカーから買うか?

・置き場をどうするか?

 

掘り下げていかねばならぬことが山ほどある。まな板一つとってそうなのだから、何を食べるか、何を自分の暮らしの道具に取り入れるか、自分にとって心地よい生活とは?・・・対話はキリがない!

 

だから心意気は、丁寧な暮らしにも「スタイルのある暮らし」にも必要なのだ。

 

 スタイルを作りあげている最中は大変だけれど、一旦考え抜いてしまうとその後は土台ができているので「対話」もスムーズになり、心地よい暮らしに近づいていくことは間違いないだろう。土台はどんどん強化され、日々の様々な出会いの中で化学反応を起こしつつ自分流に落とし込まれていくだろう。

 

「スタイルのある暮らし」は日々、頭と手と足を使って生活を積み上げていった先にできるもの。結果、その人の顔つきや雰囲気を作り上げていくことにもなるとも思う。

 

そういう意味で、自身の感性と思考に根付いた「スタイルのある暮らし」を持つことはとても重要でないかと思うのでした。